墨田区の災害リスクと歴史 — ゼロメートル地帯を繰り返す水害と、10万人が逝った震災の記憶
東京都墨田区は、防災DB(bousaidb.jp)の統合リスクスコアが93点(極めて高い)、洪水・津波・高潮・地震の全スコアが100点を記録している。東京23区の中でも最高水準のリスクが集積するこの区は、荒川と隅田川に挟まれた「海抜ゼロメートル地帯」の代表格だ。NIEDの災害データには1947年以降だけで12件の水害が記録され、さらにNIEDのデータセットに収録されていない1923年関東大震災では、当時の本所区(現・墨田区の主要部)だけで約5万人が犠牲になった。
今この区に暮らす人が向き合うべきリスクの全体像を、防災DBの125mメッシュ解析データと公的資料をもとに整理する。
なぜ墨田区はこれほど水害に弱いのか
答えは地形にある。区内の最高標高はわずか4メートル、最低標高はマイナス1.2メートル。区域の大部分が「満潮時の海面よりも低い」海抜ゼロメートル地帯だ。区内のほぼ全域が人工地形——盛土地・埋立地・低地に土を盛った平坦地——で構成され、自然の高台が事実上存在しない。
東側には荒川、西側には隅田川。この2本の大河に挟まれた地形は、かつて「水の恵み」として江戸の水運を支えたが、ひとたび台風や豪雨が来れば逃げ場のない水の罠となる。荒川の堤防が決壊した場合の最大浸水深は10メートル(防災DB解析値)、浸水継続期間は336時間(2週間以上)と想定されている。区の防災マップは荒川氾濫時の浸水深を最大6メートルと示す。6メートルとは2階の天井まで水没する高さだ。
1923年9月1日 — 本所区を飲み込んだ関東大震災
NIEDの当データセットには未収録のため、公的資料をもとに別途記載する。
1923年(大正12年)9月1日午前11時58分、相模湾を震源とするM7.9の地震が東京を直撃した。震度は6強相当、死者・行方不明者は全国で推定10万5,000人。そのうち東京市の死者は約6万人だったが、本所区(現在の墨田区の主要部)の死者だけで約5万人——東京市全体の死者の50%以上が、ひとつの区に集中した。
悲劇の中心は陸軍被服廠跡地(現在の横網町公園)だ。地震発生直後、約4万人の市民が荷物を抱えてこの空き地に避難した。だが、地震から約4時間後の午後4時頃、周囲から迫った火災が「火災旋風」を引き起こした。逃げ場を失った避難者のうち約3万8,000人が焼死した。一箇所でこれだけの死者を出した災害は、日本の近現代史においてほぼ前例がない。
1923年の地震が「過去の話」と思えないのは、防災DBの地震リスクデータが同等の危険を示しているからだ。墨田区の125mメッシュ解析では、震度6弱以上の地震が30年以内に発生する確率の平均が74.98%、最高値は95.21%に達する。平均地表面S波速度(AVS30)は175.6m/s——東京の軟弱地盤を象徴する数値で、地震動が増幅されやすい地盤条件だ。
戦後の水害年表 — 繰り返される浸水の記録
以下はNIED(国立研究開発法人防災科学技術研究所)の災害データベースに記録された、墨田区の水害一覧だ。
| 年月日 | 災害名 | 床上浸水 | 床下浸水 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 1947年9月13日 | キャスリン台風 | 280棟 | 2,076棟 | 関東を直撃、利根川・荒川が氾濫 |
| 1948年8月13日 | ユニス台風 | 400棟 | 6,200棟 | — |
| 1949年8月31日 | キティ台風 | 8,980棟 | 14,114棟 | 戦後最大級の浸水被害 |
| 1950年7月27日 | ヘリーン台風 | — | 645棟 | — |
| 1952年6月22日 | ダイナ台風 | — | 1,130棟 | — |
| 1955年10月9日 | (台風) | — | 1,360棟 | — |
| 1957年6月26日 | (台風) | — | 1,455棟 | — |
| 1958年9月16日 | (台風) | — | 745棟 | — |
| 1958年9月25日 | 狩野川台風 | 8,130棟 | 25,122棟 | 戦後最大の浸水被害 |
| 1959年9月25日 | 伊勢湾台風 | 10棟 | 673棟 | — |
| 1961年10月 | (台風) | 440棟 | 3,530棟 | — |
| 2019年10月12日 | 令和元年東日本台風(台風19号) | — | — | 一部損壊14棟 |
出典:NIED自然災害データベース / 墨田区地域防災計画(平成23年度修正)別冊資料
1958年の狩野川台風では床上浸水8,130棟・床下浸水25,122棟というこの期間で最大の被害を記録した。1949年キティ台風でも床上8,980棟・床下14,114棟。1958年の記録からすでに65年以上が経過しているが、「これほどの浸水は昔の話」とは言えない——荒川の想定氾濫モデルは今なお10メートル浸水・2週間超継続を示しているからだ。
2019年台風19号(令和元年東日本台風)では、荒川・多摩川等の増水が都内で記録的レベルに達したが、墨田区の主要被害は一部損壊14棟にとどまった。これは整備が進んだ荒川スーパー堤防と地下調節池が機能した結果だが、専門家は「荒川が氾濫する規模の台風では、現状の治水インフラでも区内の大部分が浸水する」と指摘している(東京都水害ハザードマップ)。
洪水・浸水リスクの詳細
防災DBの125mメッシュ洪水解析では、墨田区内のメッシュが影響を受ける河川として以下が上位に挙がる。
| 河川名 | 影響メッシュ数 | 最大浸水深 | 平均浸水深 | 継続時間(最大) |
|---|---|---|---|---|
| 荒川 | 7,330 | 10.0m | 2.69m | 336h(14日) |
| 利根川 | 1,175 | 10.0m | 3.76m | 336h(14日) |
| 隅田川 | 591 | 5.0m | 0.35m | 336h |
| 神田川 | 520 | 5.0m | 0.41m | 336h |
| 旧中川 | 512 | 3.0m | 0.27m | 336h |
| 江戸川 | 429 | 5.0m | 2.63m | 336h |
浸水深の目安として、0.5mで膝下・歩行困難、1mで腰まで浸水し高齢者・子供の自力避難が事実上不可能になる。2mで1階全没、3mで1階天井まで、5mで2階床上まで、そして荒川氾濫想定最大の10mは3〜4階相当まで浸水する高さだ。
荒川氾濫の平均浸水深2.69m、最大10mという数値が、墨田区における「水平避難の限界」を物語っている。区の防災計画が垂直避難(建物の上階への避難)と早期広域避難(区外への避難)を強く推奨する理由がここにある。
高潮リスク
津波スコア・高潮スコアもともに100点。コースタルメッシュ(津波・高潮影響メッシュ)は9,320メッシュ。東京湾からの高潮は、南東方向からの台風接近時に増幅される。
地震リスク
墨田区の地震リスクには3つの要素が重なる。
1. 首都直下地震の高い発生確率
125mメッシュ解析の平均値で、震度6弱以上の地震が30年以内に発生する確率は74.98%。最もリスクが高い地点では95.21%に達する。国の地震調査委員会は首都直下地震(M7クラス)の30年発生確率を「70%程度」と公表しているが、墨田区はその全国平均を大きく上回る。
2. 軟弱地盤による揺れの増幅
AVS30(地表面30mの平均S波速度)は175.6m/s。200m/s未満は「軟弱地盤」の目安とされ、硬い地盤(AVS30=400m/s以上)と比較して地震動が大幅に増幅される。東京湾岸の埋立地・低地に特有の条件だ。
3. 液状化リスク
液状化スコア80点。地震時の液状化は建物の傾斜・沈下を引き起こし、上下水道・ガス管を破損させる。1923年の関東大震災でも区内各所で液状化が報告されている。
活断層については、直下型の特定活断層は確認されていないが(防災DBの断層マスタに東京・墨田エリアの個別断層データなし)、首都直下地震は既知の活断層以外のプレート内断層による可能性が高いとされている(文部科学省地震調査研究推進本部)。
避難施設
墨田区内の指定避難所は50か所(防災DBデータ)。
区が指定する主な避難場所(広域的な一時避難場所):
| 施設名 | 住所 | 備考 |
|---|---|---|
| 両国地区(横網町公園等) | 墨田区横網1丁目 | 関東大震災の慰霊碑が立つ場所 |
| 墨田区役所・隅田公園自由広場一帯 | 墨田区 | 隅田公園内の広場 |
| 猿江恩賜公園一帯 | 墨田区(江東区との境) | 区南部の主要避難場所 |
主な指定避難所(小中学校):
| 施設名 | 住所 |
|---|---|
| 両国中学校 | 横網1-8-1 |
| 両国小学校 | 両国4-26-6 |
| 本所中学校 | 東駒形3-1-10 |
| 向島中学校 | 東向島4-18-9 |
| 堤小学校 | 堤通2-19-1 |
重要: 荒川大規模氾濫時は区内の多くの避難所自体が浸水するおそれがある。墨田区は「荒川氾濫に備えた広域避難計画」を策定しており、足立区・葛飾区・墨田区を含む江東5区では、大規模水害時に区外への早期避難(100万人規模の広域避難)を推奨している。
今からできる備え
自治体公式の防災情報を確認することが最初のステップだ。墨田区水害ハザードマップと墨田区防災マップ・ガイドブックで、荒川氾濫時の自宅の想定浸水深を確認し、「1階に留まるのか、2階以上へ垂直避難するのか、区外へ広域避難するのか」を事前に決めておく必要がある。
広域避難の行き先を決めておくことも重要だ。海抜ゼロメートル地帯では「近くの避難所」が浸水することがある。台風上陸前に親戚宅・ホテルなど区外の避難先を確保しておくことを区の防災計画も推奨している。
早期避難の判断基準も設けておきたい。荒川の水位が警戒レベル4(避難指示)に達したら、すでに安全な道が限られる可能性があるため、台風が接近し始めた段階(48〜72時間前)からの早期避難が理想的だ。さらに備蓄面では、水・食料を7日分(最低3日分)確保し(2週間以上の浸水継続が想定される)、液状化・倒壊を踏まえた家具固定とガラス飛散防止フィルム貼付も実施しておきたい。
自宅や職場の詳細なリスクデータは防災DB(bousaidb.jp)で無料確認できる。市区町村単位から125mメッシュ単位まで、洪水・津波・地震・土砂のリスクを一括で調べられる。
データ出典
| 出典 | 内容 |
|---|---|
| 防災DB(bousaidb.jp) | 統合リスクスコア、125mメッシュ洪水・地震・高潮解析(国土交通省・国土地理院等オープンデータを元に独自集計) |
| NIED自然災害データベース | 1947年〜2019年の災害事例(死傷者数・浸水棟数) |
| 墨田区地域防災計画(平成23年度修正)別冊資料 | 1947年〜1961年の水害記録 |
| 気象庁「関東大震災から100年」特設サイト | 1923年関東大震災の規模・死者数 |
| 内閣府防災情報「関東大震災100年」 | 本所区の被害実態、横網町公園での死者数 |
| 墨田区水害ハザードマップ | 荒川氾濫時の浸水深・継続期間 |
| 地震調査研究推進本部(文部科学省) | 首都直下地震30年発生確率 |
| 国土交通省「ハザードマップポータルサイト」 | 浸水想定区域図 |
本記事のデータは2024年時点のものです。防災情報は随時更新されるため、最新情報は各公式サイトで確認してください。
著者:防災DB編集部
防災DB